荒川の風が吹き抜ける埼玉・川越の地で、かつて多くのゴルファーに愛された名門の姿が変わろうとしている——伝説の河川敷コース閉鎖から月日が流れ、激変する現場のいまを追った。
半世紀の歴史に幕を下ろした「都心から最も近いオアシス」

1970年代の開場以来、指扇駅からクラブハウス、そして船で荒川を渡ってコースへ入るという唯一無二のアプローチで知られた。北・中・南の計27ホールはフラットでありながら河川敷特有の風と絶妙なハザード配置を持ち、初心者から上級者まで幅広い層のホームコースとして親しまれた歴史がある。
「朝一番、川を渡る舟の上から朝日を浴びるフェアウェイを見るのが最高だった」。30年以上通い詰めたという地元埼玉の男性(68)は、そう振り返る。しかし、その穏やかな水辺のロケーションこそが、同時に宿命的な課題を抱えていた。
巨大台風の爪痕と治水事業が決定づけた転換点

転機となったのは2019年の令和東日本台風(台風19号)だ。荒川が記録的な水域に達し、コース全体が完全に水没。泥と漂流物に埋め尽くされた現場は壊滅的な被害を受けた。関係者の執念とも言える復旧作業により営業再開を果たしたものの、気候変動に伴う水害リスクの増大は回避できない現実として突きつけられた。
国交省が推進する「荒川第二・第三調節池事業」の用地指定を受ける形で、2021年12月31日、惜しまれつつも営業を終了。約50年にわたるゴルフ場としての歴史に静かにピリオドが打たれた。
旧ゴルフ場跡地で進む「荒川第二・第三調節池」の現在地

2026年現在、かつてのグリーンやバビロン柳が立ち並んでいた風景は一変している。国土交通省関東地方整備局が進める荒川第二・第三調節池の整備工事が本格化し、広大な掘削作業と堤防補強工事が展開されている。
このプロジェクトは、令和元年クラスの集中豪雨が発生した際、首都圏への氾濫を防ぐために洪水の一部を一時的に貯留する「巨大な遊水地」を創出するものだ。かつてゴルフボールが飛び交った広大な緑地は、首都圏数百万人を水害から防護する巨大防波堤としての機能を担おうとしている。
元ホームコースのゴルファーたちが語る郷愁と新たな居場所
ゴルフ場の閉鎖は、長年培われた地域コミュニティの解体も意味していた。月例会やシニアサークルで顔を合わせていた常連客たちは、近隣の吉見ゴルフ場や大宮ゴルフコース、あるいは栃木・群馬エリアへと拠点を移さざるを得なくなった。
それでも「川越で培ったアイアンの精度や風を読む技術は今でも生きている」と語るゴルファーは多い。クラブハウス周辺の思い出や、渡船場で交わした挨拶の記憶は、今も地域ゴルファーたちの語り草となっている。
環境保護と観光資源:小江戸・川越が描く未来のグリーンインフラ
工事が進む一方で、単なるコンクリートの防災施設にとどまらない「環境共生型」の再開発計画も浮上している。調節池としての機能を確保しつつ、平常時は野鳥が飛来するビオトープや市民が親しめる水辺公園としての活用が検討されているのだ。
川越市内の観光関係者は「蔵の街・川越の歴史的景観と、荒川沿いの豊かな自然環境が融合すれば、新しいエコツアーやアクティビティの拠点になり得る」と期待を寄せる。かつてのゴルフ場が持っていた「緑の価値」は、形を変えて未来へと受け継がれようとしている。
首都圏の水害リスク軽減へ——巨大プロジェクトがもたらす社会的インパクト
地球温暖化による線状降水帯の頻発など、水災害の脅威が増大する現代において、旧ゴルフ場用地を活用した治水インフラの整備は極めて大きな意味を持つ。荒川流域の安全度が飛躍的に高まることで、下流域の東京都心部を含めた社会・経済の安全基盤が強化されるためだ。
レジャーの場から命を守る砦へ。時代の要請に応えてその役割を変えたこの土地は、都市と自然、防災と環境の理想的なあり方を提示する象徴的なモデルケースとして、これからも注視され続けるだろう。 (出典: 川越 グリーン クロス(Yahoo!ニュース))